募集

私は定年を3年残して神戸大学を辞し(神戸大学名誉教授)、平成24年4月九州大学病院別府病院(内科特任教授)に異動しました。当初は、診療をして病院経営にも若干寄与できればとの思いで赴任しある程度目標を達成できたかと思いますが、同時に、私達が2009年に提唱した「自己臨界点説」はリウマチ膠原病の発症病因を根本から刷新する学説で、学説が正しければ教科書が書き変わることにもなるので、研究を継続しています。その後、私は平成25年7月九州大学病院に新設されたリウマチ膠原病内科学共同研究部門の教授に選任され、部門は平成30年3月まで設置され、私もその時点まで在籍します。

さて私は、医学研究を志す医学、保健学、理工学等の若い人達に、私達の教室に学んで欲しいと願っています。私達の教室は、臨床の課題に真正面から最新の手法で取り組んでいて、病気(主としてリウマチ膠原病)の枝葉でなく、それを動かせば疾病が左右される根幹の解明を目指し、以て正しい治療を確立したいと考えています。たとえば世界一流のピアニストには優れた技術に加えて高いスピリットが要求されますが、これと同様で、技術の習得は長い時間の修行を要し、またスピリットも単なる思い付きでは太刀打ちできず、医学でいえば臨床研究は、十分な経験を基礎に問題の核心に迫る必要があります。ひとは若いとき志(こころざし)を立て高い目標を設定し、これを乗り越えるべく懸命に努力する中で成長します。志があれば艱難に耐えることも出来るというものです。現代は、医学も世の中も、志を重視しませんが、私は志こそ大切で、世界の概念を一変させる優れた研究には高い志が不可欠と考えています。キューリー夫人は研究を始めるにあたり、何を研究すれば物理学が変わるかを考えた末、当時未知の放射性鉱石ピッチブレンドに挑んだと、子供向けのキューリー夫人伝に書いてありました。私はずっと昔、兵庫県和田山病院の医長の頃、無医村検診で訪れた小学校分校の図書館でこれを読んで感動しました。私は、自らの研究と診療で難病の大海に漕ぎ出し、指針を確立したいと思います。そして、若い心に希望の灯をともしたいと思います。研究は世界に開かれていても、研究者個人には依るべき故郷(育成してくれる土壌)が要ります。私は九州大学に移る時点で、母校だけでなく、日本の学生を育てようと決意して参りました。私を暖かく迎えてくれた九州大学には、まず自らの業績で報いようと考えていますが、それでも、できるだけ多くの学生を育てて、九州大学から日本の未来が構築できればと願っています。

研究について、九州大学別府病院は、3年前まで九州大学生体防御医学研究所(生医研)の臨床部門でしたが、設置形態が病院ですので、九州大学病院教授である私は大学と大学院を担当しておらず従って学位授与権がありません。しかし私は、若い人に是非私の所で学んでいただきたいと思います。九州大学では学位授与権のない部門での学生の受け入れと指導は支障なく行われているものと理解していますので、研究したいと思う人はご相談ください。ご希望を聞いたうえで、実質的に私の所で学べるよう工夫したいと思います。

米国の場合は、原則フェローが2年、留学も2年なので、優れた教授の下に自由に優秀な学生が出身大学あるいは国を超えて集うのが通例です。その際、所属先でなく、どの教授に学んだかがその後の世界での自分の位置になると思われます。所属先に将来の差配(医学部の場合はジッツ)を期待するわが国も、研修医制度が変わってから医局と若い医師の関係が多様化していて、今の若い人達が教授の年代になる頃には就職先が医局に依らず開拓される時代を迎えているかも知れません。基礎医学では、私の若い頃は学閥を超えて他大学に選任される教授は僅かでしたが、現在は自らの力で母校以外の大学の教授になっている方が数多くおられます。勉強は生涯にわたるのであり、出身大学の数年間でなく、生涯の努力の成果が問われているようです。先日、友人である別府病院の教授から「私の恩師は錚々たる面々」と言われて顧みると、確かに、恩師の内科井村裕夫教授(京都大学総長、現神戸先端医療財団理事長)および免疫病理学の京極方久教授(日本リウマチ学会長)には今日までご指導いただいておりますし、故人の西塚泰美学長(文化勲章受賞者)および整形外科広畑和志教授(日本リウマチ学会長)には学生から教授になるまで親しく教えていただきました。留学先のMorris Ziff教授はおそらく世界一のbig-heartedなリウマチ医Rheumatologistで、たった2年間でしたが、先生に出会わなかったら私は臨床医として、真似事ではない本格的な研究に邁進出来なかったと思うし、Dr. Ziffに学んだことで世界に友人が出来ました。内科の助手時代には、学生のときご著書を読んで敬愛していた遷延感作実験の岡林篤教授に、ご自宅にまで招いて頂いて膝下でご指導いただきましたし、その後七川歓次教授(日本リウマチ学会長・幹事長)あるいは本学の笹月健彦教授(国立国際医療センター総長、現九州大学高等研究院特別主幹教授)にご指導いただいた関係で大阪大学や九州大学に多くの優秀な知友が出来て、まことに鴻大な師恩であります。

ただしかし、私が良き師に恵まれたのは確かに幸運でしたが、良き師との邂逅(出会い)には教えを受ける側の姿勢も重要であることは言っておかねばなりません。ちょうど猫が飛躍の前にじっと身を屈めて飛ぶに似て、身を低くすればこそ、世の中の優れた人が見えて来ます。現代は徒に平等を唱えて英傑を認めようとしませんが、これでは世に英傑が居ても詮ないことで、どうか自らの小さい自由や権利に固執しないで、驕らず、澄んだ心の眼(まなこ)で、優れた師をたずねて教えを乞うて、現在の自分から一段も、二段も、さらに数段も高くはるかに成長して欲しいものだと思います。因みに、千代の富士は不世出の大横綱ですが、相撲協会の理事選に落選したと新聞にありました。政治の世界はそうでしょう。しかしながら、自らを不良と称したあの大関千代大海が昔、千代の富士に出会い威圧されて身じろぎ出来なかったといいます。その千代大海が、千代の富士にひたすら学んで遂に優勝して、優勝パレードで昔彼を追いかけていた警官と涙の対面を果たしたと聞きました。教育の原点がここにあると思います。

私はずっと長い間保健学科の教授をしていました。私の業績は保健学科生の寄与なくして語れません。私の著書「膠原病学」(丸善)も保健学科での講義を礎に彼らの質問が内容を洗練させたと考えられるし、研究も「PhDに学ぶ姿勢」が私を真に熟成させたと思います。私の研究室では、研究発表も抄読会も徹底的に究めるので、カンファレンスは厳粛で、きつい言葉こそ飛び交わないが、入って数ヶ月の学生がNature、Scienceを何本も引いて論陣を張り、カンファレンスではNatureの論文さえ糞みそに貶されることもしばしばです。このような研究室に入るには、ある程度の前知識が要るのではないかと尻込みされたりしましたが、本当はそんなものは不要です。ゼロから入っても、世界中の優れた研究室では例外なく自然に、高度の技術が身に付くしNature、Scienceを読みこなす能力も身に付くものです。

私の目は医師と医師以外の研究者に等しく注がれています。私自身は医師ですから、医師として診療に従事する中で同時にレベルの高い研究をしたいという学生が来てくれるのは大変うれしく思います。しかし同時に、私はこれまでPhDに多くを学んで来たので、医師以外の学生が来てくれるのも大歓迎です。実際、私の教え子は医師以外の人が多いし、また現在助教をしている積山君は岡山大学工学部出身です。入ってみようかなと思う学生は、とりあえず訪ねてきて欲しいと思います。私達の研究室は、研究設備や研究費は十分ありますので、研究課題にとことん悩む以外は、人間関係についてはずいぶん心穏やかに過ごせる場所ではないかと思います。

教授  塩沢 俊一